『日本では、”言葉で言うな!という社会じゃないですか?例えば、上司に”尊敬してます”なんていうと、”そんなこと口でいうな!”という、』と、ある脚本家の日本語に関するTV討論会での発言の一部です。
ふと “やはり日本はそうなんだ!でも、そんな風に否定したら、こんなコラムなんて成り立たないよね”と、思った。
私が教えている学校でも、クラスがスタートしたばかりの時は”誰か歌いたい人、手を上げて、ボランティアは?”って聞いても、下を向いたり隣の人と顔を見合わせたりで周りを気にして誰も声も手もあげません。(でも私のクラスは1ヶ月もすると変わっていきますがー私の”自慢”その2)
日本では、腹芸とか、接待で話が決まるとか、曖昧な表現で解ってもらう場合があります。いい意味では、たとえば羽織の裏のとっておきの柄を、チラッと見えた人だけに気付いてもらうとか(この場合自己満足で気付いてもらわなくてもいいのかもしれない)、美しい月を直接眺めないで、お酒の入った盃に写った月を眺めて楽しむとかは風情があって、すごくカッコイイ文化だと思うのです。しかしコミュニケーションにおいて、現在のように色んな国の人が混在している国際社会では、文化、習慣、環境など違うので、はっきり伝えないと理解出来ないし誤解を招くこともあると思います。
私は、ボストンの音楽の大学ではパフォ-マンスメ-ジャ-(科)でした。ここでの”パフォーマンス” とは人の前で音楽を演奏したり、踊ったり、演じたりと、芸をさしますが、もう一方では、御存知のようにもっと広い意味があり、あらゆる表現、そして人とのコミュニケーションまでをいい、私は広い意味での”パフォーマンス”にも、ずっと興味を持って来ました。
これも”パフォ-マンス学”という学問になっていて、日本では実践女子大の佐藤綾子先生が第一人者で沢山本を書いていらっしゃいます。 E.Tホールという人の説では(佐藤さんの本から得た知識ですが)日本は高状況文化(High context culture)で多民族でないのでイエス、ノーをはっきりさせなくても状況が判断してくれ、暗示表現や、非言語表現が優先する社会ということです。そのため相手に期待し、うまく答えてもらわないと、いらいらしたりがっかりしたりもします。地域、国でいえば、日本、中国、韓国などアジアの国々がそれにあたるそうです。イタリア、南米もこちらのような気がします。
それに対して、低状況文化(Low context culture )では、状況があまりものを言わないので、大部分の情報が明確な形の言葉など記号によって伝達される文化で、他民族国家であるアメリカ、社会保障や環境、政治形態など進んでいるスウェーデンなどがあるスカンジナビアそしてドイツなどをさすそうです。そして、国際人としては、高状況文化や非言語表現をすて、フェアで正々堂々とパフォーマンスをする事だということです。
私自身は、ほんとに美しいと思うと”きれい!、美しい!”(ナンパしたりしませんが)と言いたい方で、日本には、はまらなくて結構、気を使うところがあります。だからたまに日本を離れないとだめです。日本を飛び立つ時にまず開放感を味わい、飛行機がエアポートに到着して、荷物をとって空港ビルを一歩出ると、もう人格がかわります(?)気楽にタクシーの運転手さんと冗談いったり(相手もそうなので)もっと伸び伸びコミュニケ-ションができリラックスできます。
“尊敬してます”って、もし私が言われたら? ウーム”ニコ”と笑って、”Thank you ! ! ! ARIGATOU”と、照れるけど言うと思います。”そんなこと口でいうな!”なんて決して言いません。だって、うれしいですから。お世事はいりませんけど。