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ワルシャワで

ポーランドでは最初首都ワルシャワに滞在しグラジェーナの友人のアーティスト.ユリータのアパートメントにお世話になった。
ベッドが二つなので寝る時はユリータが、私とグラジェーナの為に友人の家にわざわざ泊まりに行ってくれた。

着いた夜は、グラジェーナがバ-クリ-時代の友人ピオトルやユリータ、ジャーナリストの?さん、日本に両親が居るというカーシャを招いてポーランド料理のお店でパーティを催してくれた。
十数年ぶりに会ったピオトルは、ボストン時代に私が作っていたTーシャツを着て現れてくれた。現在は二人の男の子のお父さんでもあるとのこと。
ピオトルは、今日はお父さんを取りあげたTVドキュメンタリーにベ-スで音楽をつける仕事で、映像を見ながらベ-スを弾いたとのこと
お父さんは戦争中、地下組織のリーダーであったらしい。今でこそヒーローだけど、最近まで秘密でピオトルはそれを知らされてなかったと言う事でショックらしい。そんなで今日はちょっと気分がロ-でごめん!と。
最近日本の皇室の取材で日本に来た事があるというジャ-ナリストに、ワルシャワは戦争でどのくらいの壊滅したのか、って聞いたところ”戦場のピアニスとを、みなかったの?”って言われて、ちょっとバツがわるかった。やっぱり行く前に見ておけばよかった!と、反省。

第二次世界大戦で市内はほとんど全壊したということで、古い建物はあまりの残っていないらしい。商業やアパートメントのビルディングは近、現代建築で他の西欧の国と変らない。
それでも戦前の古い建物を見かける。
ある時、煉瓦がコンクリートから無惨な形でむき出しになっているのを見た私は、”戦争の傷跡と言う事でわざと残されているの?”と、友人にたずねたら”ただ補修するお金がないだけじゃないの”と一笑された。
それでも、わずかに残っている古い建物を補修して美術館などに改修したり、昔の古い街並を再建したり、戦前のよいものを取り戻そうともしているらしい。