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作者の意図をゆがめている

森進一さんと”おふくろさん”の作詞者の川内康範さんの騒動が連日メディアをにぎわせている。無断で歌詞を加えられたと作詞した川内康範さんが”森さんに は歌わせない”と。”私が心血を注いで作った作品を勝手にゆがめて…”。と。森さんは、ステージではしばらく歌わないという。
15日朝日新聞の朝刊の文化欄でもこの騒動を著作権の視点から大きく扱っていた。記事によると、著作権法には、著作者人格権というものが定められていて、 著者の意志に反して内容を変えられないという”同一性保持権”と、いうのがあるという。JASRAC(日本音楽著作権協会)も、著作権法の権威である半田正夫氏も作品全体の統一性を損ない作者の意図をゆがめているという。森さんも無理矢理歌いたいとか、裁判でとかの話しには行っていないので、これ以上こじ れる事はないだろうけど、私もこの騒動には多いに感心を持った。歌い手としてではなく。

ボストンのバークリー時代、編曲専攻の知り合いにポスターを依頼され作ってあげた事がある。(ボストンの学生時代、私は墨を使った作品をベースにシルクス クリーンでポスターやグリーティンングカードやTシャツなどをデザイン制作してお店に卸して生活費に充てていた。)今のようにPCも使えない時代で、フォントは貼付けたり全部手作りで仕上げ、後はコピーすればいいようにして知り合いにプレゼントした。その後、私は貼ってあった私の作ったポスターを見て青ざめてしまった。私のデザインした作品の余白いっぱいに手書きで文字が埋められていたのだ。私にとっては余白は作品の要なのだ。コメントを入れたかったら最 初からこれを入れて作ってくれと言えばいいのだ。私はショックで知り合いに伝えた。相手が音楽家なので、作曲やアレンジされたものが断りなしに変えられたら嫌なのと同じだよね!と。知り合いは、わかってくれた。川内さんとはスケールが全然違うけど、ふとこんな思い出が頭を過った。

森さんの場合、川内さんが何度も忠告していたという事、そして紅白で川内康範作詞ということで、保富康午さんの歌詞を付けて歌ったという事。それは絶対まずかった思う。ものを生み出す人の気持ちがわかっていないし尊敬尊重していれば絶対しない事だと思う。森さんは悪気はなかっただろうし、謝罪に伺ったりしているけど。辛い立場かもしれないけど、創作者に対して、無知なのか、センシティブでなさ過ぎる。川内さんの気持ちは”そういう鈍い無礼な人は、もう嫌!”なのだと思う。残念だけど。