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Gospelpart 2

前回のコラムを読んで下さった方から “黒人ばかりの中で「紅一点」ならぬ「黄一点」だったのでは?”という、感想をいただきました。

そうです、黒人の中にクリスチャンでもない日本人の私が一人混ざっていました。
私は、同じような考え方や神経をもっている人であれば、もちろんどこの国の人でも割と自然に仲間になります。

しかしこの教会のグループの中では、すこしバリアを感じました。
みんな親切でしたが、お互いにすこし違和感を感じていました。
歌っている人は、その教会に通っているクリスチャンで、私は日本人で信者でもなかったのですから無理もありません。日本人も珍しかったでしょうし、私は彼等と同じ神を信じていなかったのですから。
だからと言ってそのために、その気もないのに入信するわけにはいきません。
せめてもと、毎週に日曜日の礼拝に彼等の事、キリスト教を学ぶために参加しました。

ある日の練習の時リーダーが”私達はただ音楽やコンサートの為に歌っているのではなくジーザスの為に歌っているのだから…”という話をされました。
私は、”やはり私の事を言っているのかな?”と気が重くなり、
“ちょっと、お話させていただきますか?”と、リーダーに許可をいただき、
“私は、みなさんが御存知のように日本人で、アメリカに音楽の勉強にきました。学校を卒業したので、グレンの紹介でこの教会のコーラスに入れていただき歌える事をとてもうれしく思います。アメリカに住む事、またこうやってみなさんと一緒に歌える事もすべて、私にとっては、音楽だけでなくアメリカの文化を学ぶ上でとても勉強になり感謝しています。しかし、私はみなさんのようにクリスチャンではありません、その私が、ここで歌っていてもいいのでしょうか?” と、尋ねました。
リーダーは突然の私の問いかけにびっくりしたようですが”いいですよ、ミチコの事を言ったんじゃないんです”と、言ってくれました。
そして休憩の時、何人かの人が近付いてきてくれ”もちろんよ!ミチコ”と、励ましてくれました。そんなことがありました。

マーティールーサーキングの式典にクワイアーで参加した時は、小学生達のスピーチでの黒人差別の現状をたくさん知らされ、アメリカの野蛮な部分を実感しました。

クワイアーリーダーのワイフが亡くなってセレモニーに参加させていただき、クリスチャンは神のところに召されるということで、日本の御葬式のようにメソメソしないのを知りました。
彼等の家に招待されると、お料理は大抵ヴォリューム、カロリーたっぷりで、大きな身体の秘密もしりました。

そのMytel Beptist Churchのchoir(コーラス)には帰国するまでの2年半くらい歌わせていただいたことは素晴らしい体験でとても感謝しています。

いつかまた礼拝に伺って、みんなと再会のhug(抱擁)をいっぱいしたいです。